先週の、
女優さんの訃報
7月の俳優さんの時は
全然、全くと言っていいほど
ノーダメージだったから
今回も大丈夫だと思っていたら
ザラザラしていた感触が
水紋が広がるように
日に日に大きく
確実に、心に、
影を落としていました
あくまでも私の主観ですが
誤解を恐れずにいうと
病気はその方の
生き方の現れだと思っています
(逆にいうと、生き方次第で
病気にならないともいえますが…)
自分を殺してしまうほどの
大きな病気
例えば、
心筋梗塞や脳出血、癌などは
細胞レベルで生きるのを
止(や)めようとしている
私にはそんな風に映ります
そして、生きるのをやめる、
自死という選択もまた
生き方だと思うのです
(傷つく方がいたらごめんなさい。
ちなみに、私の身近にも
そういう願望を
持っている人間がいます。
だけど、その願望を
コントロールできるのは
本人でしかない。
悲しいし、寂しいけどね)
だから、そのニュース自体が
ダメージではないんです
ただ、、
そのニュースへの
反応の中の言葉…
「お子さんいたよね」
これが、私的に
めっちゃ削られる
この言葉、はじめは
小さなトゲ程度
だったのですが
だんだんとメンタルを
遠慮なく、確実に
ゴリゴリ削ってくる
この言葉の裏側の
世間からの「母」に対する
闇深さに気づいてしまって
なんかもう、しんどい
「子供を遺して死ぬなんて」
>>>子供のために母は生きるべき
という、沼、、、
もう、嫌だよ、、怖いよ、、
亡くなっても、なお
役割を負わされるって
なんだ、この沼、、、
だけど、
トゲの刺さった先の
どんどん膿のたまっていく
その傷口を見ていくと
私はこの言葉で
自分自身を責めている
ことに気づいた
「子供のため生きられない」
「母親なのに」
「世間に認められる母親ではない」
本物の沼は
こっちだった〜😭
こんな風に繊細に
自分の心を見つめていくと
思わぬ自分の沼に行き当たる
わー、ここにもまだあった〜!
って、見つけられたことが
嬉しくもある
だから、見つけた時には、
見なかったことにせず
ジクジク痛む
膿をちゃんと出し尽くして
そして、
そこから見えるものを
伝えていきたい
ヨガでも
オーラソーマでも
光の見えない、
そこの見えない、
暗がりからでも
希望は自分の中にあるんだよ
って、大きな声で言っていきたい
私たちが
本当に恐れているもの
それは
自分の中の光
なんだそう
私たちは、心の中の闇や、
ネガティブさに
フォーカスすることに
慣れています
だけど、私たちは
光がある方にしか
歩いて行けないんです
絶望や、失望、
信じていたものが揺らいで
何も見えなくなった時
それは
自分の中心に
戻るためのサイン
です
私がよく、ヨガのレッスンで
お話しすることですが
それは、
「自分のためだけに
呼吸をする時間を」
ということ
いつも、誰かのために、
何かのために、と
過ごす時間が多いからこそ
「自分のため」
だけの時間を、
たった一呼吸だけでもいいから
作ってみて下さい
誰かが決めたり、
誰かに求められたり
はたまた与えられた
そんな「役目」ではなくて
自分が人生の主人公である
という真実に
立ち戻って欲しい
私の活動の核となるもの、
それは
「自分から始まる世界」
に戻っていくこと
その世界を
「ハートから広げていくこと」
私たちの意図したものが
世界になっていきます
自分自身を
いつも一番大切にできる
そんな強く、優しい世界を
一緒に作っていきましょう
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