今日の記事は誰に向けてでもなく
自分のためだけに書くことを
まずはお伝えしておきます。
ばあちゃんが死んだ。
一週間ほど前の話だ。
私は祖母が嫌いだった。
ずっと長いこと変えられなかったし、
今はもう、変わらなくていいとさえ思う。
父方の祖母とは
私が小学4年生の頃から同居で、
3年前まで実家にいた。
プレゼントをもらったとか
おやつを買ってもらったとか、
正直そんな記憶もないし、
なにより母を苦しめる祖母が許せなかった。
思い出すと腹の奥が
真っ黒になるので
これくらいで。
祖母は70歳くらいから
言動が怪しくなった。
75歳になるころには
誰が見てもわかるくらい
認知症が進んでいった。
認知症が進むと
いろんな問題が起こる。
家の雰囲気はいつも最悪だった。
母と祖母だけでなく、母と父との
バッチバチなバトルも頻繁に起こった。
父は心を壊したし、
なまじメンタルの強かった母は
大動脈解離を発症。
それが3年前の話だ。
本当に本当に
みんなギリギリのところで
かろうじて生きていた。
母の入院中、
私はアクションを起こした。
「ばあちゃんを施設に入れよう」
と父に提案した。
このままじゃみんなもたない。
母さんが帰って来るまでに
兄弟で話をつけて、と。
その提案を父は何も言わずに
受け入れてくれたし、
このことについて一切反対せず
淡々と手続きを進めていった。
私はというと、
祖母が施設に入った始めの2年間、
一度も見舞いに行かなかった。
嫌いだった。
入所から2年が過ぎた2018年の夏、
母の還暦祝いで大分旅行を企画した時、
母は、祖母二人も傘寿(80歳)のお祝いで
一緒に連れて行きたいと言い出した。
開いた口が塞がらなかった。
自分が死ぬかもしれないところまで追い込まれたのに
まだ祖母のために何かしようと言うのだから。
ただ、この時、祖母を連れて行くことに
難色を示したのは父だった。
すでにかなり認知が進んで
人の見分けも怪しかったし、
足の手術なんかで
長時間歩くのも難しかったから。
何より父は、母に対する責任を
感じていたからだと思う。
何度その話しても
首を縦に振らない父に
私はまたもや強硬手段に出た。
「お父さんがなんていっても私は連れて行く。
それがお母さんの望みだから」
認知症というのは
人格まで変えてしまうようで、
2年ぶりにあった祖母は
ニコニコと笑い、時々冗談を言う
優しいおばあさんに
なってしまっていた。
いつもきつい顔をして仏頂面だった
あのばあちゃんは
もうどこにはいなかった。
(車椅子が亡くなった祖母)
この頃から、少しずつ、
祖母への感情が変わっていることに気づいた。
私が長い間許せなかったのは
祖母を好きになれない
自分だったのではないか。
一度も見舞いに行けなかったのは
そんな自分を見たくなかったからではないか。
「祖母が嫌い」と言うことを
自分に許すことができたのが
この頃だったと思う。
そんな風に、自分に許しを与えると
「可愛がって欲しかった」
「愛し、愛されたかった」
と言う、純粋な気持ちが
次々に顔を出した。
悲しかった。
それから少しして、
2019年に入ってから
祖母にステージⅣの
胃がんが見つかった。
その頃から、
なんだか居心地の悪い
感情がまた生まれた。
2年間、遠のいていた足が
月1回くらいの面会をするようになり
食事が取れなくなって来ると
ハンドマッサージや
それまで持って行かなかった
花を持って行くようになった。
行くたびに、義姉と姪が作った
お見舞いの品も増えていた。
みんなそれぞれの中で
何かを感じ始めていた。
そして、先週の火曜日、
一人でふらっと施設に立ち寄った。
病室のドアを開けた途端、
そこには「死の匂い」が立ち込めていた。
介護士の方に
「一度、数分でもいいから
自宅に連れて帰ってあげたい」
と、伝えると、
「明日の回診の時に医師に相談してみましょう」
との回答だったので
すぐに家族に連絡をした。
ここでも父は反対した。
だけど、私たちだけでもやる、と押し切った。
翌日の水曜日、医師に相談すると
「今、無理に動かすと
心肺機能が持たないかもしれない」
と言う回答。
私の判断が遅かった。
祖母がなんども「家に帰りたい」
と言っていたのに
母もなんども
「家に連れて帰って看てあげたい」
と言っていたのに。
ごめんね、
たくさんの言い訳で
叶えてあげられなかった。
「ばあちゃん、また来るね」
そういって病室を出た。
「私、ばあちゃんのこと
好きじゃないんだけどね、
いざ死ぬって聞いてからずっと
私にできることはなんなのか、
何をしてあげられるのかって考えてる。
いい人になりたいのかな?
なんなんだろうね、これ
ハンドマッサージとかもさ、
手なんて触ったこともなかったし
ばあちゃんの作った料理は
一切箸をつけなかった
嫌いなんよ、ばあちゃんのこと
木曜日の夜は母が、
金曜日の夜は私が
付き添うってあげようと思う。
その先はまた時間のある家族が
交代でつき添うつもり」
水曜日の夜、夫にそんな風に話した。
その時、夫に言われたのは
「君は今そこの道で大嫌いな人が
倒れていたとしても
何かしてあげたいって思うんじゃない?
やってあげたらいいと思うよ
好きとか嫌いとかじゃないんじゃないの」
と。
なんだか妙に腑に落ちて、
ふっと肩の力が抜けた瞬間だった。
感情や、行動の全てに
言葉で説明をつけようとしていた。
内側から溢れて来る
名もないものがあってもいいんじゃないかと
背中を押されたような。
その数時間後。
祖母が息を引き取ったと
母から連絡があった。
家族に付き添われることなく
最後の時は一人でいったんだね、ばあちゃん。
自分で決めたんだね。
祖母のためにしたことは
母の望みを叶えるためで
実際は母を思う「私の気持ち」を
満たすためだ。
だから揺るがない。
他人のカップを満たすことは
私を満たすこと。
その質は母から受け取ったギフト。
じゃあね、ばあちゃん。
嫌いだけど、
やっぱり悲しかったよ。
(長々とお付き合いありがとう)
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